No.18 −石油− 前編





◎石油はどうしてできたのか

 石油がどのようにしてつくられたのかは、現在にいたるも完全に解明されたとはいえない。
 海生植物根源説や陸生植物根源説も主張されたが、現在、最も有力視されている考え方は、海の生物――動・植物がもとになって生まれたとするものである。地質時代から大量に生息していた下等なプランクトンの死骸が枯死した海底植物と混じって堆積したものが、嫌気性バクテリアの活動によって、長年月のあいだに石油系炭化水素に近いものになっていったと考えられている。
 一般的な油田は地層が褶(しゅう)曲して山形をなした最上部にガス、その下に石油、石油の下に水という構造になっている。石油採掘には石油とともに大量の天然ガスが噴出するため、現在でも多くの油田では、天然ガスを焼却処分している。最近のエネルギー不足からこの天然ガスも少しずつ利用されるようになってきたが、現在でも多くの油田ではこれを利用していない。油田地帯を報じるテレビなどを見ると、大量のガスが燃やされ、夜空をこがしている風景がよく写し出される。私はこれを見るたびに資源の浪費、地球環境汚染、地球の温暖化にもつながるこの壮大な無駄を、なんとかならないのかと心痛む思いにさせられる。近年のイラク軍によるクウェート油田の放火炎上にいたっては、まことに言語道断(ごんごどうだん)である。
 石油は、このように油層をなして存在するだけでなく、油母頁岩(けつがん)あるいは渥青頁岩とよばれる粘土質の層状岩に含まれて存在している。これをオイルシェールといい、この岩を乾留(高熱を加えて分解させること)することによって石油と天然ガスが得られる。また砂に混じって存在するタールサンドもあり、この両者をあわせると、石油の堆定埋蔵量の二倍はあるといわれるが、現在はほとんど未開発である。

◎人類は石油をどう利用してきたか

 四大文明の発祥の地メソポタミアで、接着剤としてアスファルトが使用されている石像や彫刻が発掘されている。それらは紀元前四〇〇〇年ごろのシュメール人がつくったものである。
 現在舗装道路に使われ、ありふれた存在のアスファルトは、石油の原油から重油を蒸留したかすである。その粘着力が知られ、接着剤として利用されたのである。また、アスファルトそのものを素材とした彫刻もイランのスサで発見されている(推定紀元前三〇〇〇年ごろのもの)。
 アスファルトは古バビロニア王国の宮殿建築にも、エジプトのミイラにも用いられていた。『旧約聖書』とヘロドトスの『歴史』にも石油に関する記述がある。
 中国では、班固の『漢書』地理誌に現在の陝西省で湧き出る水がよく燃えるとの記述がある。日本では『日本書紀』の六六八年(天智天皇七年)の記事に「越国献燃土與燃水」とある。越後国(新潟)から燃える土と燃える水、つまり固体と液体の石油の献上があったと記されているのである。
 燃える水という驚きから、石油は洋の東西を問わず、人びとに恐れられ、かつ崇(あが)められた。中国には石油崇拝の記録があったり、日本にも草生水神社や掘出神社という石油の湧出に由来する神社信仰があった。ゾロアスター教の拝火壇ではしばしば石油とともに出る天然ガスが燃やされていた。
 その神秘的な力から、人びとは石油には薬効があると信じるようになった。ローマ帝国の博物学者プリニウスは、石油は、腫瘍、眼疾、咳、てんかんなどに効くと記述しており、マルコ=ポーロは、黒海のバクーの石油は皮膚病の治療薬として使われていると記している。中国・日本でも創傷や痔、らい(癩)病に効ありとの記録がある。
 石油は戦争で火器としても使われた。イスラム軍のたび重なる侵入に苦しんだビザンツ帝国は、「ギリシア火Greek fire」とよばれる新兵器を登場させてイスラム軍を撃退した(六七四〜七九年の戦闘で)。これはシリア生まれのギリシア人カリニコスが発明したと伝えられる一種の火焔放射器で、原料は石油説とナブタという液体瀝青(これも石油の一種である)と硫黄と樹脂から成るとの説があり、明らかではないが、濃い煙と激しい炎を出す、恐ろしいものであったという。
 どちらの説にしても石油に関連した武器である。モンゴルのチンギス=ハンはホラズム帝国遠征で攻城に石油を用いたとされている。
 古来から石油は一般的に灯火用として用いられてきたが、その本格的利用は、一八五二年アメリカ、ピッツバーグ市が最初であった。これには次のようないきさつがあった。アメリカ東部で塩の井戸を掘ったところ、大量の石油が湧出し、人びとはその処置に困惑していた。これを知ったニューヨークの薬剤士サミエル=キールは、はじめリウマチの薬として売り出そうとして失敗したため、イギリスの化学者ジェームス=ヤングが開発した原油から灯油をつくる手法を利用して、蒸留油(いわゆる灯油)をつくって売り出し、成功した。キールは故郷ピッツバーグ市にこれを本格的に導入したのである。当時の灯火は鯨油が主で、これは悪臭が強いことから嫌われ、石油灯油は、以後急速に普及していくことになる。
 アメリカのペリーの日本開国の一番の目的は、当時太平洋で活躍していたアメリカの捕鯨船に、水や薪(まき)を供給する港を日本に開かせようとすることであったことを思いおこしてほしい。当時の捕鯨は肉をとるためではなく、灯火用の鯨油をとるためであった。
 古代から一九世紀後半までの人類の石油利用はこの程度のものであった。そのため石油も井戸を掘って本格的に採掘する必要もなく、ほとんど地上に自然に彦出している油を採取して利用していたにすぎなかったのである。


後編に続く




 
   このページは著者及び出版社の承諾を得て、掲載しております。  

■■本の紹介■■

 古代エジプトの金の採掘から、現代の太陽電池の開発まで、53の「物」の歴史についての考察。

 書 名:『物が語る世界の歴史』
 著 者 :綿引 弘(わたひき ひろし) 
 出版社:聖文新社
 定 価:2330円+税
 


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