宮沢和史(かずふみ)「詞人から詩人へ」(河出書房新社、'00、9月)から…。
「…本を読むことが苦手で、文章力も足りない。大学受験の時にも先生から、「小
論文はあきらめろ」とはっきり言われた。けれども今では読書が大好きである。が、
やっぱり人よりも読むのは遅い。
本というのは書き手に主権があるように見えて、実は読み手の側にある。物をおそ
わるというより、読む者が知識をい選び、むしり取るのが読書だから、それで得た知
識はいつまでも忘れない。」
これは独立したエッセイの一部ではなくて、いうなれば「読書感想文」です。何故
なら、谷川俊太郎氏の「子どもと本」という詩が紹介されたあとに、上記の全文が付
されているからです。この御本のすべてが、作者によって選ばれた様々な詩人の詩が
掲載された後に、作者の感想のような形で書かれているからです。
そして、それを書いたのが"THE BOOM"のヴォーカリストで、かつ、ほとんどの曲
の作詞・作曲を担当している方であった。いうならば、シンガーソングライターが、
既に発表されている現代詩のいくつかを、どう読んでいたのか、どう受け取っていた
のか、ということだから、なのです。
人は、他を批評することで、自らを表出する。実をいうと、私自身の、この「はな
・ひと・こころ」も、同じことなんですが、「自」と「他」との関わりの中から、「オ
ヤ?」とか「ヘェ!」とかいう感じで受け取っていただければ、それで良い、そして、
それがヒントになって詳細な研究に絡がれば、もっと良い、と思いつつ、今日まで続
けてきています。
そこで本題に戻りますが、宮沢和史氏の感想文・批評文から、逆にご本人の作詞が
知りたくなりました。「恥かしながら」、彼又は彼等の曲がどんなものか、まったく
知らなかったからです。
すぐ(でもありませんが)に入手したのが、CD、"Sixteenth Moon" と"極東サンバ"
でした。この2枚が、彼の全作品の中で、どんな位置を占めているのかは存じません
が、今はそれしか材料がありません、ということで話を進めます。
予想より、ずっと叙情性の強い曲であり、詞でした。特に、変にりきンで絶叫して
いないので、安心して聞かせていただきました。
その中から、少しばかり御紹介してみます。
抜 殻
作詞・作曲 宮沢 和史
運命はベールに包まれ
誰にも解けぬ謎を残し愛を間引く
人には皆 誰かを求めて
模型の帆船に揺られ瓶の底を走る
今夜は雨になるだろう
夏の足跡 洗い流すため
人生をもう一度 やり直したとしても
同じ道を歩いて 君に出会うだろう
結末は分かっていたけど
僕らは筋書き通りの役を演じた
人は皆 誰かに恋いこがれて
時間を止める為だけに時を費やす
明日には秋になるだろう
抜殻だけを窓辺に残して
人生をもう一度 やり直したとしても
同じ道に迷って 君を探すだろう
人生を何度でも ふりだしに戻しても
同じ道を歩いて 君に出会うだろう
(「Sixteenth Moon」'98、東芝EMI)
雲の形が変わる前に
作詞・作曲 宮沢 和史
雲の形が変わる その前に
僕の胸まで 馳けておいで
貝ガラに耳を澄ましてみてごらん
いつの日か出会う人の声がする
愛だけじゃ 生きられないけど
愛し合うために あなたは生まれた
雲の形が変わる その前に
僕の胸まで 馳けておいで
砂浜に城を作ってみてごらん
ありふれた幸せが愛しくなる
愛なしじゃ 生きられないから
愛されるために あなたは生まれた
波はいつもと 違う音をたて
僕らに何か 語りかけてる
雲の切れ間に 光が射したら
僕の胸から 羽ばたいてゆけ
(同上 CD)
いかがでしょう。演歌でも、フォークでも、ロックでも、いわゆるポップス系の歌
は、「愛」を歌わざるを得ない?のですが、扱い方が違うようです。
もう一枚のCDは、「サンバ」と銘打っているだけに、CDの箱の角に付けられて
いる、単行本ならば「帯」にあたるものにいわく、「このアルバムを静止して聴くこ
とは不可能だ」!だそうですが、そして曲はまさにそうなんですが、歌詞を読んでみ
ると、リズム通りではないのが不思議です。
Poeta
作詞・作曲 宮沢 和史
毎日詩を書きとめてる
僕を君は笑いとばす
役立たずの言葉
ただ並びかえてるだけだと
額にしわがふえて
猫背になった僕を笑う
自分で書いたうそに
ふりまわされる 哀れな男だと
僕は白紙のノートにおぼれ
くたびれた襟によだれを垂らし
音の合わないギターを奏で
まだ詩を書き続けてる
こぼした紅茶の中を泳ぎ
抜け落ちていく髪の毛眺め
逃げ惑うちょうちょたち追いかけ
まだ詩を書き続けてく
(「極東サンバ」 '94、ソニー)
本家のサンバにも、悲しい歌詞のものがあるということを聞きましたが、それは未
だ確認していません。
本日は、これまで……。
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