前回に続いて、また、別な味の果実を取り上げてみます。承前、「秋の味覚」とい
う具合で……。(出典は同じ「新日本歳時記」からです。)
梨
もう大部分の品種は果実店に出されて居りますので、御賞味も充分のことと思
われます。
梨が、「有りの実」とも言われているのは、ご存じとは思いますが、「無し」
では縁起が悪い、という様な時に作られた語なのだろうと思われます。私は子供
の頃、甘いから「蟻の実」なんだ、と、長いこと思いこんでいました。その割に
は、蟻のたかっている姿を見たことがありませんでしたので、変だなぁとも思っ
ていました。
日本の在来種としても、地梨の赤梨・青梨・長十郎に加えて、「二十世紀」は
その産出地が千葉県松戸市の地名にさえなっている程、一時期は大変にもてはや
されました。当然、このほかに香りが売り物の洋梨そして、シナ梨と言われるも
のもある様です。
ただし、「シナ」(支那)という表記は差別語扱いされることもありますので
要注意。でも、語源的には「泰」に由来している故に cina(イ), china(英),
chinois(仏)などと同類の表現なので、この表現をマイナスに感じたり、禁止語
と思ったりしているのは、むしろ、人々の心の中にある歴史的な差別感の故では
ないのか、と思ったりしています。そのこともあって、今では「シナそば」とい
う暖簾(のれん)や看板を見ることも稀になっています。
孔子一行衣服で赭(あか)い梨を拭き
飯島 晴子
梨切るや赤石岳が濡れて立つ
加藤 楸邨
大山(だいせん)の長き裾野や梨をもぐ
荒田 千恵子
仏壇に日射しの届き梨ふたつ
松林 慧
(さとし)
妻かなし噛みゆけばある梨の芯
宇崎 冬男
梨を剥くきれいな夜に会いたくて
山本 恵子
有の実に己みづみづしくありぬ
平井 千詠
(ちえ)
(注)「みづみづし」は原作のまま
栗
採る時も良し、食べる時もよし。そして、梨・林檎・葡萄とは異なった「食感」
を代表して選んでみました。
その大きさと、口に入れたときの「ホクホク感」、それに有るか無きかの甘さ
の違い、香りの違いなどが、その産地ならではのもの、と思っています。ケーキ
や和菓子に使われるときに、それぞれの味・食感が生かされるからこそ、ご指定
の産地がある筈です。
茹栗(ゆでぐり)や胡座(あぐら)巧者なちいさな子
小林 一茶
すべてなしぬ ひとつの栗のおもさ掌(て)に
長谷川 素逝
いろいろな角(かど)出来てゆく栗をむく
深見 けん二
茹栗や生立ちどこか似る夫婦
木崎 節子
そして
退学の夜の袂(たもと)にしたる栗
河東 碧梧桐
碧梧桐氏は、虚子氏と共に松山の出身、揃って子規門に入り、ホトトギスを支えま
したが、その若かりし日、共に大学を退学、やがて、独自の俳風を確立、競い合いま
す。(もっとも、恩師子規自身も東大を中退していますから、二人とも師にならった、
とも言えます。)
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