No.173 −梨と栗−



   前回に続いて、また、別な味の果実を取り上げてみます。承前、「秋の味覚」とい
  う具合で……。(出典は同じ「新日本歳時記」からです。)

  

     もう大部分の品種は果実店に出されて居りますので、御賞味も充分のことと思
    われます。
       梨が、「有りの実」とも言われているのは、ご存じとは思いますが、「無し」
    では縁起が悪い、という様な時に作られた語なのだろうと思われます。私は子供
    の頃、甘いから「蟻の実」なんだ、と、長いこと思いこんでいました。その割に
    は、蟻のたかっている姿を見たことがありませんでしたので、変だなぁとも思っ
    ていました。
       日本の在来種としても、地梨の赤梨・青梨・長十郎に加えて、「二十世紀」は
    その産出地が千葉県松戸市の地名にさえなっている程、一時期は大変にもてはや
    されました。当然、このほかに香りが売り物の洋梨そして、シナ梨と言われるも
    のもある様です。
       ただし、「シナ」(支那)という表記は差別語扱いされることもありますので
    要注意。でも、語源的には「泰」に由来している故に cina(イ), china(英), 
    chinois(仏)などと同類の表現なので、この表現をマイナスに感じたり、禁止語
    と思ったりしているのは、むしろ、人々の心の中にある歴史的な差別感の故では
    ないのか、と思ったりしています。そのこともあって、今では「シナそば」とい
    う暖簾(のれん)や看板を見ることも稀になっています。


         孔子一行衣服で赭(あか)い梨を拭き
                            飯島 晴子


         梨切るや赤石岳が濡れて立つ
                            加藤 楸邨

         大山(だいせん)の長き裾野や梨をもぐ
                            荒田 千恵子


          仏壇に日射しの届き梨ふたつ
                            松林 慧
                              (さとし)
         妻かなし噛みゆけばある梨の芯
                            宇崎 冬男

         梨を剥くきれいな夜に会いたくて
                            山本 恵子

         有の実に己みづみづしくありぬ
                            平井 千詠
                              (ちえ)
          (注)「みづみづし」は原作のまま


  

     採る時も良し、食べる時もよし。そして、梨・林檎・葡萄とは異なった「食感」
    を代表して選んでみました。
       その大きさと、口に入れたときの「ホクホク感」、それに有るか無きかの甘さ
    の違い、香りの違いなどが、その産地ならではのもの、と思っています。ケーキ
    や和菓子に使われるときに、それぞれの味・食感が生かされるからこそ、ご指定
    の産地がある筈です。

          茹栗(ゆでぐり)や胡座(あぐら)巧者なちいさな子
                             小林 一茶

          すべてなしぬ ひとつの栗のおもさ掌(て)に
                             長谷川 素逝

          いろいろな角(かど)出来てゆく栗をむく
                             深見 けん二

          茹栗や生立ちどこか似る夫婦
                             木崎 節子

     そして

          退学の夜の袂(たもと)にしたる栗
                             河東 碧梧桐

   碧梧桐氏は、虚子氏と共に松山の出身、揃って子規門に入り、ホトトギスを支えま
  したが、その若かりし日、共に大学を退学、やがて、独自の俳風を確立、競い合いま
  す。(もっとも、恩師子規自身も東大を中退していますから、二人とも師にならった、
  とも言えます。) 


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