情 報
小海 永二
(こかい)
「ハッシンシマス、ハッシンシマス」
「ハッシンシマス」
「ジョウホウデス、ジョウホウデス」
「ジョウホウデス」
「ハッシンシマス、ハッシンシマス」
「ジョウホウデス、ジョウホウデス、ジョウホウデスヨ」
「受信します、受信しました」の声はない
それでも情報は発信され続ける
次から次へと大量に当てもなく
空に向かって
溢れる情報
渦巻く情報
聞かれぬ情報
読まれぬ情報
届かぬ情報
情報の過剰は
情報の価値をゼロにする
情報は情報の中に巻き込まれ
吸い込まれて消えて行く
情報は今やないのと同じだ
過飽和の情報の中で
無関心が生まれ
無知が蔓延して行く
(ホントニ ヒツヨウナジョウホウバカリガ
ハッシンサレテイルノデショウカ
ジョウホウモ ニホンケイザイトオナジヨウニ
ユガンデイルノデハナイデショウカ)
それでも情報は次々と発信され続ける
聞くことに飽いた耳に向けて
読むことを拒む眼に向けて
反応しない脳に向けて
虚空の中に
「ジョウホウデス」「ジョウホウデス」
「ジョウホウデスヨ」……
(「夢の岸辺」、'00,6月)
この所、この方の御作には、人生の終わりについて、生と死についての御作が多く
なっているような気がしますが、昭和も、30年頃(1955年以降)に、アンリ・ミシ
ョーの紹介者として、同時に、詩人として颯爽と登場して来られた方ですし、何より
も、中・高校の教育者として、国語教育の中に現代詩を導入しようと努力してこられ
た、大先輩でいらっしゃいます。
その方の、最近作、ということです。
ついでにこの詩について一言加えさせていただければ、最近、コトバとハードばか
りが熱病のように取り上げられている「IT」騒ぎの本質が、鋭敏に指摘されている ことに感服いたしました。
私たちの現場で大切なのは、ハードやその機能に振り回されないこと、何のために、
どう使いこなすのか、という目的を忘れないこと、だと思っています。
その意味で……。
悲 歌
小海 永二
羊の心臓を持つひとよ
魂を病んだ者たちが
砂粒の軋みのような叫び声を上げ
暗闇を撒き散らして
ひずんだ物議をかもし出しています
人と枝とのいたわりは
みどり色の眼差しを失って
尖った角(かど)に射竦められているのです
猫の耳を持つひとよ
怨念が立ち上がり
悲嘆がただよう中で
絹は石と化し
殺意を含んだ紫色の欺瞞がふくらんで
野太い恫喝が近付き
あちらからもこちらからも
破滅の歌がりらりらと聞こえてくるではありませんか
虎の舌を持つひとよ
ああ
その歌の中からは
悲しみの泡がぷつぷつと沸き上がり
優しさの水をかきまぜて
酸性雨のように
森の中ににじみひろがって行き
世界を埋め尽くそうとしています
猪の牙を持つひとよ
ぬらぬらと黄色い風の吹くこの時に
ほころびた未来が
あなたの眼には見えていないのでしょうか
このままただ座して待てとおっしゃるのでしょうか
(同 上 書)
今回はちょっと長くなってしまいましたが、同じ作家の作品の中に、こんなも御作
ありますよ、という意味で……。
うるおいのしずく
小海 永二
かわいいおんなのこが
かわいいこいをするはなしがいい
そんなものがたりをよむのがいい
げひんでない いやみでない
はいゆうたちのでるテレビがいい
できればしあわせにおわるドラマがいい
すべて けばけばしくなくて
どぎつくなくて
すなおでほっとさせられるのがいい
さびしくてしょうのないときが
だれにだってあるのだから
いっときなぐさめられたっていいだろう
うるおいのしずくがちょっぴりだけで
ほんのわずかなことで
すくわれることがひとにはある
いいことをきき
いいものをみる
そんなねがいがいかされるといい
(同 上 書)
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