老後が長くなって、介護の問題が大きくなっています。今までにもあったことで
したが。何となく、特別に巡り合わせの悪い、不運な人の話、のようなところがあ
ったのです。「大変ですね。お疲れでしょう。」といって、それだけ。たまには、自
分の身の上でなくてよかった、と思ったりして。
しかし、その度合、巡り合わせることが、多くなっています。明日は我身(どっ
ち側の?)かも知れません。
飢餓の時代
新保 啓
さっき食べたばかりなのに 忘れてしまう
ひもじかった子どもの頃が 波のように
次から次へと襲ってくる
布団の中へ
飢餓の時代がやってきたのだ
ふさわしいと言えば ふさわしい
似合っていると言えば 似合ってる
そんな時代が始まりだったから
行き着くところへ 行き着いたのだ
「さっき食べたばかりだよ」
「ソウカ タベタバカリカ」
割と素直なのが 気にかかる
家族大勢 助け合って食べた名残が
続いてる
布団の中で 飢餓の時代を
実感してる
(「あちらの部屋」'00、10月)
作者、新保 啓(じんぼ・けい)氏は1930年生まれ。従ってそのお母様(「あちら
の部屋」にいる方)は明治末年の生まれとお見受けします。戦中・戦後の過酷な時代
に生きてこられた世代です。今は鬼籍に入って居られます。
さて、次は、私たちの世代の番、なんですが……。
雨垂れの音 続いてる
新保 啓
3月がきて 降り続いた雪も止んだ
消え残った屋根の雪 雨垂れに変わってる
部屋の戸を開け放ち
空気を入れ替えましょう
箪笥の上の毬や福俵に埃がたまってる
自分が作ったものだから飾ってある
「マリガオチテ コロガッテル ヒロッテ」
あちらの部屋が言う
あたりを見回しても何もない
強いて言えば本人だけ 転がってる
本人は そんなこと思っていない
家人の方が 転がってる
3月がきて 雨が降っていないのに
雨垂れの音 続いてる
寝たきりの暮らし 続いてる
(同 上 書)
筋道立った説得や、客観的な事象で納得していただけない世界です。それを解って
貰おうとすればするだけ、奔命に疲れます。作者は言って居られます。
「介護は美しい、と言うものではない。ときには、介護者の方が倒れてしまうこと
がある。介護者には絶えず葛藤がつきまとう。私にとってそれを救ってくれたのが詩
である。」
詩は、苦しみ、嘆き、葛藤、焦り、から生まれます。もちろん、逆に、喜び、感動、
激動、からも生まれます。
そして、そのどちら側の場合でも表現し終わったときに一種の「安定」が生まれま
す。「救ってくれたのは詩」というのは、そのことです。
冬の虹
新保 啓
お医者さんに 看護婦さん
家人が三人と
役者が揃ったよ
(四五人で見て確かなる冬の虹*)
あちらの部屋 ウトウトしてる
「今のところ 心配ありません」
外の雪 しばし止んでいる
風の音なし 薄日差し込んでる
遠くに冬の虹立つ 気配感じてる
原注*印
青山 丈句集「象眼」から
(同 上 書)
他人事ではありません。
場合によっては、「自分ゴト」なのかも知れません。この頃、私の場合も、コトバ
(固有名詞に限らず普通の語でも)表現したいことばが出てこないことがあるのです
から。
辛い思いをするのはダーレだ?
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