No.195 −風−



   暫く「間」があいてしまいました。ほぼ一ヶ月半ぶりの「更新」ということになり
  ます。
     筆者の健康状態に加えて、年度末・年度始めの繁忙が原因だったのですが、前者の
  方が、分量としてはチト多かったことでした。とは言え、できるだけ定期的に掲載し
  ていくことが、確実にお読みいただけることに絡がるはずですので、今後とも、その
  つもりで「間」があかないように、「間」が抜けないように努力したいと思っており
  ますので、御海容の程、願い上げます。

   さて、改まって本日の話題は、大変に久し振りということで「風」のたより、です。


   もう大分以前、1997年10月に発行された新潮選書に「歌ことばの辞典」という御
  本がありました。
     俳句には、「歳時記」という便利な著作が、数多く出版されていますが、短歌や現
  代詩には、それに類するものが少なく、唯一、この御本は、短歌などに使われている
  語句を見出しとして、その使われ方や、正確な意味などが整理されている、大変に便
  利な特性があります。

    という訳で、今回の「風」をめぐる短歌などを少々……。

  先ず、「風立つ」。

   堀辰雄の作品を思い出されるか、その原点となっているポール・ヴァレリーの詩を
  思い出されるかそれはご自由、として、
     「…そのとき不意に、何処からともなく風が立った。…」という具合のものです。
  しかし、この項では、松田聖子の歌謡曲(昭56)も、「実方集」(平安)、そして杜甫
  の漢詩の中から、「風起春燈乱」が紹介されているという具合で、この項の執筆者の
  佐藤武義氏によれば、「風起つ」という表現は、この漢詩、またはその頃の用語法の
  訓読みから始まったものであろうとされています。(P.81)

  次に「風薫る」。
   この項では、天正13年(1585)の連歌師・紹巴(じょうは)の「連歌至宝抄」から
      「風薫ると申すは南の風吹きて涼しきを申し候」
  という基本的な意味と
             風かをる木の下道は過ぎやらで
             花にぞ暮らす志賀の山越
                                       藤原 良教・「続拾遺集」・巻一
                              (建治2年、1276)

   が示され、この歌は「春」の部立になっていると、指摘されています。(P.82)

  もう一つ「通い路」(かよいじ)。

       鎌倉や海のかよひ路いちめんに
            撫子(なでしこ)となる夏もちかづく
                         吉井 勇

       人知れぬ我が通ひ路の関守は
             宵々ごとにうちも寝ななむ
                         在原 業平
                         (古今集・恋三)

       天つ風雲の通い路吹きとぢよ
             乙女の姿しばしとどめむ
                         遍 昭
                         (古今集・雑上)

   という具合に、「通ひ路」は、「人知れず逢瀬を求めてたどる夢の中の道」や、「天
  女の舞う雲の行き通う道」として歌われている、とされています。(P.112)

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