No.233 −しののめ−
東 雲(これからしののめの大きい瞳がはじけます)
尾形 亀之助
しののめだ
太陽に燈がついた
遠くの方で
機関車の掃除が始まってゐる
そして 石炭がしっとり湿ってゐるので何か火夫
ぶつぶつ言ってゐるのが聞えるやうな気がする
そして
電柱や煙突はまだよくのびきってはゐないだろう
(「色ガラスの街」現代詩文庫
尾形亀之助詩集、思潮社、より)
お正月とは良いものです。
すべてが生まれ変わって、新しく生きて行くような気分になるからです。ネガティ
ブに、現実には何も変わっちゃいねぇよ、などとふてくされない方が、折角の人生な
んですから、そう思いましょうよ。
お日様だって、いつもと同じに顔を出しても「初日の出」なんですから。
でも、この詩、ちょっと懐かしい感じがしませんか。何しろ、蒸気機関車なぞ、最
近はお眼にかかったことはない。特別な観光地へでも行かなければなりません。でも、
解るでしょ?力強くシュッシュッ、ゴトン、と動き出す前の、整備作業の様子が。太
陽も、今、昇ってきたばかりでキラキラしていても、まだ完全には明るくはなってい
ない空気が……。
もう一作、お正月の夜明けを。
凧
中村 稔
夜明けの空は風がふいて乾いていた
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
たえず舞い颶ろうとしているのだった
じじつたえず舞い颶っているのだった
ほそい紐で地上に繋がれていたから
風をこらえながら風にのって
こまかに平均をたもっているのだった
ああ記憶のそこに沈みゆく沼地があり
滅び去った都市があり 人々がうちひしがれていて
そして その上の空は乾いていた……
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
鳴っている唸りは聞きとりにくかったが
(「樹」『中村 稔詩集'41〜86'』
青土社刊より)
あんまりお正月らしくない詩かも知れません。実はこの詩が掲載されていたのは宗
左近編『あなたにあいたくて生まれてきた詩』で、その中で宗左近氏は、紐で繋がれ
ていて、飛び去ることのできない凧に「自由でないための恍惚感」を見て居られます。
その故の「風の動きと空の高みも目に見えてくる。」とも。もう一歩、踏み込めば、
我々人間も……。ということでしょう。
そんなことは考えないで、たまには寒風の中で凧を上げようではありませんか。
宗左近氏の同じ御本の中から、もう一作。
じいちゃんの耳
中川 さや子
十二月になると
じいちゃんの耳が黒くなる
サトウキビ畑で、キビ葉をむく
じいちゃんの耳が黒くなる
北風に当たると
じいちゃんの耳が黒くなる
むかしむかし 大むかし
じいちゃんは
マンシュウへ せんそうに行った
それいらい
じいちゃんの耳は黒くなる
寒くなると 黒くなる
じいちゃんの耳は
マンシュウをおぼえてる
むかしむかしのせんそうを
おぼえてる
('90年度四国新聞読者文芸年間賞
・詩の部の最優秀賞。作者は当時
小学校六年生)
サトウキビを作って居られるのですから沖縄か九州か、四国か。その四国でも冬の
風が吹くと耳の色が変わるのですね。
実は私も、と言わずとも、続けてこのページをご覧の方は、もうご存知のように、
私も「じいちゃん」と同じようにマンシュウにいましたから、その寒さはよく解りま
す。零下20℃〜35℃。耳を外に出しておけば凍傷で腐ってしまいます。だから「防
寒帽」という耳まで覆う帽子をかぶり、綿の入った手袋をします。
ということは、私も「むかしむかし 大むかし」の人間ということになる「おじい
ちゃん」ですが、それより少し若い。なぜなら「せんそう」にはいっていませんから。
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