No.241 −春のかなしみ−
春のかなしみ
大手 拓次
かなしみよ、
なんともいへない 深いふかい春のかなしみよ、
やせほそった幹(みき)に春はたうとうふうはりした生きものの
かなしみをみつけた。
のたりのたりした海原のはてしないとほくの方へゆくように
ああ このとめどもない悔恨のかなしみよ、
温室のなかに長いもすそをひく草のやうに
かなしみはよわよわしい頼り気(げ)をなびかしてゐる。
空想の階段にうかぶ鳩のあしどりに
かなしみはだんだん虚無の宮殿にちかよってゆく。
(「球形の鬼」より)
神保光太郎氏によれば、作者大手拓次氏は明治20年(1887)群馬県の磯部温泉に
生まれ、幼にして父母と死別、早稲田大学の入学の前後から本格的な作詩を始めてお
られます。ライオン歯磨きに入社、以後もずっとお勤めを続けながら北原白秋の「朱
欒(ザンボア)」などに作品を発表し続けるも、次第に病重く、昭和9年(1934)茅
ヶ崎の南湖院にて死去。ボードレールやサマンの詩に親しみ、朔太郎・犀星と共に「白
秋門の三羽烏」と言われました。
灰色の蝦蟇(がま)
大手 拓次
ちからなくさめざめとうかみあがり
よれからむ秘密のあまいしたたりをなめて、
ひかげのやうなうすやみに、
あをい灰色の蝦蟇はもがもがとうごいた。
おほきなこぶしのやうな蝦蟇だ、
うみのなかのなまこのやうな
どろどろにけむりをはきだす蝦蟇だ、
たましひのゆめを縫ってとびあるく蝦蟇だ。
その肌は ざらざらで、
そのくちびるはくろくただれ、
しじゆうびつしよりぬれてゐる。
まよなかに黄色い風がふくと、
この灰色の蝦蟇は
みもちのやうにふくらんでくるのだ。
蝦蟇よ おまへのからだを大事にして
そのくるしみをたへしのんでくれ。
さよなら さよなら
わたしのすきなおほきな蝦蟇よ。
(「白い狼」より)
彼の作品には「蛙」がよく登場します、と同時に狼、狐、鴉、象、馬、犬、羊、小
鳥、鬼も出てきますが、それは若い時の作品に多い。それが、ファンタジックなイメ
ージを造り上げていますが、決して一方的に童話的とも言いかねる不思議なイメージ
を織り上げています。
日中の実直なサラリーマンが、下宿に戻って頭の中に繰り広げる華麗な世界、と考
えると、解るような、でも誰にでも出来ることではない、と感じます。
黄色い接吻
大手 拓次
もう わすれてしまった
葉かげのしげりにひそんでゐる
なめらかなかげをのぞかう。
なんといふことなしに
あたりののもが うねうねとした宵でした。
をんなは しろいいきもののようにむづむづしてゐました。
わたしのくちびるが
魚(うを)のやうに
はを はを はを はを はを
それは それは
あかるく きいろい接吻でありました。
(「黄色い接吻」より)
(以上 神保光太郎編「大手拓次詩集」
昭40、10月、白鳳社刊による)
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