No.243 −暮 春−



                             暮 春
                                       尾形 亀之助

     昼
     私は路に添った畑のすみにわづかばかり仕切られて葱の花の咲いてゐるのを見てゐた
         花に蝶がとまると少女のやうになるのであった
     夕暮
     まもなく落ちてしまふ月を見た
     丘のすそを燈をつけたばかりの電車が通ってゐた

             (串田孫一・田中清光編「花の詩集・筑摩書房、'95、5月」)

   暫くお休みをしている間に、暖冬・温暖の気候とは言え、桜も盛りを過ぎ、春も過
  ぎて行こうとしています。
     新しい年度も始まり、清心溌溂の一歩を踏み出されたことと思って居ります。
   今回引用させていただいた詩は、尾形亀之助氏(明33〜昭17)の『雨になる朝』
  (昭4)からの御作。
     何でもない日常の、何でもない風景を、淡々と詠って作品となさっているところが、
  極めて日本的だと思いました。俳句の気分に似ています。解釈と味合いの素材として
  そのことを選び出し、ホラと出してみせるところに作者の眼がある、という訳でしょ
  うか。
     しかし、「詩」というものは、俳句や短歌も含めて、結局は作者の視線そのもので
  あり、何を見たか、が、どんな気持ち、考え、思想、主張なのかを決定しているよう
  に思います。作者がいなければ、何が見とられたのかが、ない、ということです。
     あなたが、そこに「在る」。何を見、何を考え、何を主張し、何を行動したいか。
  が、そこに「在る」。ということです。

                  花 茎
                         江森 國友

                    水が固体化されるのだろうか?                     
                    水の押しあげを制御する                           
                    花たちの首の勁さ                                 
                    花たちの首の冷気                                 
                    (咲くまでの項<うなじ>のうつむく柔かさ)     
                                                              注:<>は筆者の付記。       
                    ただの支柱でなく                              ルビの代わりのし   
                    青駒の叫びを                                  るし、と考えて下   
                    (同時に)                                    さい。  
                    引き留めて                                    原文にはありません。   
                                                                     
                    幼い陽炎<かげろう>に揺れてすずしい鈴が鳴りだす 
                                                                     
                    すがすがしい空気のなかの青藍の                   
                    綵色<しみいろ>の立ち顕れを                     
                    伝え伝えて                                       
                    (眼差)                                         
                    が                                               
                    伸びていくのが見える                             
                                                                     
                    山肌に寄りそう里の方                             
                    心の巡礼のめぐっていく高い御寺の方へ             
                    矢車草の花の茎は向いているように思われる         
                                                                     
                                   (同 上 書より) 


   この作品は、基本的に「花の茎」を歌っておいでなのですが、だからその「花」が
  「矢車草」でなくても、かまわない筈なのです。けれど「矢車草」という名と、その
  花の咲く季節と、その時の空気と、その咲いている場所を、花の向いている方向とそ
  こにあえる「モノ」が、作者の言いたいこと、解ってもらいたいこと、を示していま
  す。それが、この詩の生命なのです。

   今日は、久し振りなのに、理屈っぽかったですね。
   たまには、いいでしょう……。

   蛇足ながら、例によって、作者は昭和8年、埼玉県のお生まれ。作品に『鳥の歌』
  『うみ山のあいだ』などがあり、引用作は『花讃め』昭52、沖縄舎刊から。

「はな・ひと・こころ」へもどる