No.255 −鉄道詩−



   実をいうと、このテーマは、大分以前から胸にあったのですが、御紹介したい作品
  が多すぎて、迷いに迷って遅くなってしまいました。
     で、今回は思い切って、取り上げることにしたのです。

   「かたとっと、かたとてとっと」と客車列車のリズム感豊かな音から、この本は始
  められます。『日本鉄道詩紀行』です。作者はきむらけん氏、集英社新書、02、4月
  刊、です。

                     峠 (信越本線)
                             丸山 薫


                      機関車は警笛鳴らし                            
                      歯ぐるまの喘ぐ軋りに噛まれて                  
                      あの高原への九十九折(つづらをり)を登るとき  
                      佇(たたず)み見送る勾配標のかげから          
                      ゆふすげの花はせつない眼ばたきのやうに        
                      トンネルのアーチのむかふに小さくなり          
                      近より迫る嶺々の尖りは                        
                      夕ぐれの陰翳(かげり)を濃く喚(よ)び交(か)はす  
                      窓辺のぼくの顔も淡いランプの影の一つになって  
                      かなしく遠い谿(たに)の斜面を歩いてゐる      

                         (「鶴の葬式」・『日本の詩歌24』
                          中央公論社、'68)

   「汽車」と「列車」とは、同じではない、と思っています。前者は明らかに蒸気機
   関車のついているもの、後者は電気だろうと、ディーゼルであろうと、要するにた
   くさんの電車を引っ張っているもの、のことでしょう。そして、文学作品になりや
   すいのは、やはり「汽車」。「列車」は、それに乗っている人々の個別的な交流や、
   心のあり方の流れや交叉がテーマになるのではないでしょうか。


                  機 関 車
                          中野 重治

          彼は巨大な図体を持ち                                                 
          黒い千貫の重量を持つ                                                 
          彼の身体の各部は悉く測定されてあり                                   
          彼の導管と車輪の無数のねじとは隈なく磨かれてある                     
          彼の動くとき                                                         
          メートルの針は敏感に廻転し                                           
          彼の走るとき                                                         
          軌道と枕木と一せいに振動する                                         
          シャワッ シャワッ という音を立てて彼のピストンの腕が動きはじめるとき
          それが車輪をかき立てかきまわして行くとき                             
          町と村々とをまっしぐらに馳けぬけて行くのを見るとき                   
          おれの心臓はとどろき                                                 
          おれの両眼は泪ぐむ                                                   
          真鍮の文字板を掲げ                                                   
          赤いラムプを下げ                                                     
          常に煙をくぐって千人の生活を搬ぶもの                                 
          旗とシグナルとハンドルとによって                                     
          輝く軌道の上を全き統制のうちに驀進するもの                           
          その律儀者の大男の後姿に                                             
          おれら今あつい手をあげる                                             
                           (「中野重治詩集」『現代文学
                            大系36』、筑摩書房、'66)

   鉄道詩、というイメージの中の、大きな部分は、確かに、機械の中の機械ともいう
  べき機関車にありますが、いくら、軽々しく「ピーッ」と警笛を鳴らして走り去る電
  気機関車の場合でも、やはり、他の乗り物にはない詩情を持っています。
     と同時に、その列車に乗っている人々の運命の交錯も亦、詩のテーマです。
   次の作品は、乗っているのは、人間ではないのですけれど……。


                仔(べえこ)牛
                         金子 みすず

                            ひい、ふう、みい、よ、ふみ切りで、
                            みんなして貨車をかずえてた。      
                            いつ、むう、ななつ、八つ目の、    
                            貨車にべえこが乗っていた。        
                            売られてどこへ行くんだろ、        
                            べえこばかしで乗っていた。        
                            夕風つめたいふみ切りで、          
                            みんなして貨車を見おくった。      
                            ばんにゃどうしてねるんだろ、      
                            母さん牛はいなかった。            
                            どこへべえこは行くんだろ、        
                            ほんとにどこへ行くんだろ。        
                          (『金子みすず童謡集 明るい
                            ほうへ』JULA出版局'95)

   バスの旅行も悪くないのですが、「旅行」というと、やはり汽車ですねぇ。飛行機
  は出発点と到着点しかありません。あれは、「旅行」ではなくて、「移動」であります。




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