雲の祭日
立原 道造
羊の雲の過ぎるとき
蒸気の雲が飛ぶ毎に
空よ おまへの散らすのは
白い しいろい絮(わた)の列
帆の雲とオルガンの雲 椅子の雲
きえぎえに浮いてゐるのは刷毛(はけ)の雲
空の雲……雲の空よ 青空よ
ひねもすしいろい波の群れ
ささえもなしに薔薇紅色に
ふと蒼ざめて死ぬ雲よ 黄昏よ
空の向こうの国ばかり……
また或るときは蒸気の虹にてらされて
真白の鳩は暈(かさ)となる
雲ははるばる ひもすがら
( )
人は目先に、なさねばならぬことがある時、空や、流れや、緑を見ません。
鬱屈した思いの時、所在のない時、何か漠然とした思いの中に漂っているとき、天気
予報のためでなく、何かを求めているとき、空を見ます。そしてその色や、変幻ただ
ならぬ雲に感じます。
詩人は、いつも、何かを感じたくて空を見る。それは、いつも「何か」だから、せ
こせこした人とは違ったものが見えるのでしょう。
羊雲は、高積雲の一種。この雲が太陽や月を横切ると、美しい光冠が見えることが
ある、そうです。それは「黄金の羊」「神の使いの羊」といわれています。
(高橋 健司:「空の名前」)
八月の石にすがりて
伊東 静雄
八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命(さだめ)を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光の中に生きむ。
運命(さだめ)? さなり、
ああわれら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
白き外部世界なり。
見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦(また)、
雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて、
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。
( )
生きものは、その個体ごとに、それぞれの「さだめ」のもとに生きる。それに不満
を言ってはならぬ。それが、幸多き生き方。なのでしょうけれど、人間は、そうはい
かない。だから、わざわざ、そう言わざるを得ない悲しい生きものなのです。そして
だから、「飢ゑにかげ」った「狼」を思わざるを得ない。
「矛盾的自己同一」などと難しいことは言わないで、そのコトバを味わおうではあ
りませんか。おいしいお食事をするときに、誰が理屈をいう必要がありましょうか。
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