No.118 −山−



   まことに月並みな発想ですが、海の次は山。

                      岩 壁 登 攀                               
                                                                             
                                                        田中 清光           
                                                                             
              この垂直な岩壁にもろうでをさしのばし                           
              登るのは 西蔵(チベット)ふうの祈りのすがた                     
                                                                             
              さうしてここには神がいないので                                 
              おれは許されるはずもない                                       
                                                                             
              聖なる刑台に磔にされて                                         
              背に夥(おびただ)しい炎の矢を射たてられ 仮死しているおれ     
                                                                             
              が 小さなホールドをさぐりあてるやいなや                       
              ゆびは心臓のようにはげしくふくらみ                             
                                                                             
              おれは昆虫よりものろのろと                                     
              そぎたった岩を いざりのぼる                                   
                                                                             
              たとえ聖処女が 刑台にくちづけてくれようと                     
              たれが許されることをねがうだろう                               
                                                                             
              ただ岩に密着している感触だけが                                 
              おれを無我の祈祷者にしている                                   
                                                                             
              おれを神から 無限に遠くしている                               
                                 (「山脈韻律」昭51)     


   私は、今でも、登山が好きという人の体力が羨ましいと思っています。筋肉の力も、
  肺活量も、気温の差に対する耐性も、僅かな食事ですぐに戻る体力も、同じ人間とは
  思えないすごさ、と思っています。(その分、あんたはヤワなのさ、という声が聞こ
  えてきそうですが……)
     山好きの人は、恐らく、頂上に立った時の快感のみならず、それを支える過程の苦
  しさ自体も面白いと思っているのでしょう。そうでなくて、あんなことが出来る筈が
  ない!
   だから逆に、私は本で読み、詩で読み、映像で見るだけで満足しているのです。可
  哀想に……。


               山頂の心
                           尾崎 喜八

                       海抜三千百メートル、                  
                       岩の楼閣北穂高の                      
                       岩の頭にがっちり立ってる。            
                       真白に吹き上げてくる横尾の霧は      
                       寒くしょうしょうと身にしみるが、      
                       霧が晴れればかっと明るい眼前に        
                       きのうの槍があり南岳があり、          
                       急登三時間の大キレットも              
                       かえって今では懐かしい歌だ。          
                       たとえ飛騨側の朝の尾根から            
                       Go back! Go back!と                  
                       雷鳥のさそいの声は響いて来ても        
                       あとへ引く心はさらさら無い。          
                       見ろ、北は秋風の越中立山、            
                       南に釣尾根が天の廊下だ。              

                                 (注)キレット=切戸。山陵の深く切れ込んだ所
                               (「歳月の歌」昭33)

   でも、やっぱり、いいんでしょうねぇ、山頂に立っている気分というものは。そし
  て、ヘリコプターで、ちょこんと降ろしてもらうんでは、その感じはないんでしょう
  ねぇ。
   うらやましい限りです。

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